準安定な平衡状態?
過冷却液体やガラスの物理学では、専門用語さえ普遍的に受け入れられているものではなく、危険な曖昧さを生みかねない。 最初から混乱を避けるために、このノートで用いる用語の意味を明らかにしておこう。
私はたとえ準安定であったとしても液相の「平衡状態(equilibrium)」について話す場合はいつも「液体(liquid)」あるいは「過冷却液体(super-cooled liquid)」という言葉を使う。 凝固点以下での真の熱力学的平衡は結晶であり、液体はその過程にある準安定なので、過冷却液体は定義上平衡状態から外れていると考える人もいるかも知れない。 これは事実である。 しかしながら、時間並進に対して不変となるような方法(動的な揺動散逸定理)にしたがって準安定状態の液体を実験的に平衡化することはできる。 このような状況では、実験的な計測によって系が準安定であると示すことはできない。 意図的に結晶化を起こすことのみがその系が準安定であったことを結果として明らかにするのである。 したがって、少し乱暴な言い方ではあるが、凝固点より高いか低いかによって過冷却されるかどうかが決まり、これをともに「平衡」な液相と呼ぶことにする。 1 次相転移の場合、系が 2 相のどちらかで平衡ならば、転移温度を実験的に明らかにする方法は常に存在しない。
一方、私が「ガラス」という言葉を使うときは、常に「非平衡(off-equilibrium)」状態を特徴づけるときである。 これは時間並進に対する不変性が破れて相関関数が単純に時間の差に依存しなくなり、揺動散逸定理が成り立たなくなる相を意味する。 これは、準安定状態と比べて単に平衡状態からより強く外れるようになっただけではなく、全く別のものなのだと強調しておく。 原理的には、準安定ではない融点以上でも平衡から外れるくらい液体を急冷却することは可能である。 平衡状態から外れたガラスでは、物質の緩和時間が急速に大きくなってついには我々の時間スケールを凌駕する。 一方、平衡状態の準安定相では、結晶の核生成時間は実験時間よりも大きいが、緩和時間は我々の時間スケールよりも短いという違いがある。 この 2 点については後で詳しく述べる。
もちろん、 過冷却液体とガラスは密接な関わりがある: これから述べるように、液体の過冷却の度合いが深ければ深いほど緩和時間は大きくなり、ガラスが形成されやすくなる。 このため「過冷却液体」という代わりに「ガラスフォーマー(glass formers)」や「ガラス状液体(glass-forming liquids)」という言葉を使うこともある。